留学体験記
オーストラリアで日本語アシスタント教師
ダーウィンはオーストラリアのノーザンテリトリー州(準州)の州都で、「トップエンド」と呼ばれ、アリススプリング・エアーズロックと同じ州にあります。 簡単に言うと、オーストラリアのちょうど真ん中の北のてっぺんになります。気候は今までに体験したことのない熱帯気候で雨季・乾季しかないところです。
僕は日本語教師アシスタントプログラムに参加したわけですが、このプログラムの特徴は語学学校行くより英語を話す機会が多いこと、日本人があまりいない田 舎に飛ばしてくれる(?)ということと、ホームステイが週AU$70(食事代のみ)という格安で提供してくれることです。オーストラリア以外にもカナダや ニュージーランド、イギリスへも最近派遣されることになったみたいです。オーストラリアは世界で2番目に日本語学習者が多い国だったので、どうせなら興味 がある人がたくさんいるところで教えたいと思って選びました。
元々教えることに興味があり、学生時代に塾の講師をしていたこともあり同じような感覚で・・・、なんて思ったら大違い!オージーの生徒は元気なときはもの すごくて、現地の先生でも手を焼いていて、それを押さえるために態度が良かった子にはお菓子を配る先生なんかもいるみたいです。生徒はみんなとてもフレン ドリーであっという間に打ち解けてしまい先生というよりはお友達に近くなってしまいました・・・。最初は先生!って呼んでくれてたのにプログラム終了が近 づくにつれ名前は呼び捨て・・・。これはいかんと思い理由を聞いたら親指立てて 「だって俺達は友達だろっ!」 ってすごい笑顔で言われたのでギブアップ しました(笑)。
生活はホームステイを1タームした後は、シェアを自分で探して住んでました。一人暮らししたことがなかったので楽しかったですが、僕・シェアメートVS オーナーで大喧嘩してシェアメートと共に家を出たりしたり、いろいろと大変でしたがそれもいい思い出です。小さい街なのでどこかへ出かけると生徒に会い、 大声でショッピングセンター(大きいところが1つしかないからみんなそこに行く・・・)で名前呼ばれたり、知らない間に行動見られてたり・・・。遊ぶとこ ろもそんなにたくさんはなく、僕は週3,4回ビーチバレーを友達や先生達とチームを組んでやってました。そしてその後はビール!ダーウィンはオーストラリ アで一番ビール消費が多い土地らしく、あの暑さを体験すると納得しました。とにかく行く前は名前も知らない、聞いたことない、しかも熱帯気候で行くのも ちょっと気が引けましたが、行ってみてたくさんの生徒と先生方がいて、友達もたくさんできたのでこれから1年に1回は行くつもりです!
プログラム開始前にオーストラリア・シドニーで研修が1週間あり、そこで同じ仲間とも会いました。ホリデーになる前になるとみんなとは行きませんでした が、数人で現地集合で集まってケアンズ、グレートバリアリーフ、エアーズロックなどへ旅行して、お互いの学校でのことなどをたくさん話したりして楽しみま した。みんな本当に人それぞれで、牛2000頭と一緒に暮らした人や、船でしか渡れないところに住んだ人、次の家が2,3km先行かないと見えてこない人 など様々でした。
言葉に表すのが少し難しいのですが、行ってみて向こうの人の生活、性格、日本や日本人やどう見られているのかなど色々な発見があり素晴らしい体験ができた と思います。オーストラリア、日本などだけではなく世界の色々な国の人と、出会い、話をして視野がものすごく広がりました。
スクールインフォメーション
留学先データ
場所 | オーストラリア・ダーウィン |
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学校 | ダーウィン・ハイスクール |
コース | AJAC日本語教師アシスタントプログラム |
滞在 | ホームステイ(2ヶ月) → シェア(4ヶ月)→ フラット(2ヶ月) |
期間 | 8ヶ月 |
スクールデータ
建物 | 普通 ※ きれい、普通、古いより選択 |
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設備 | 整っている ※ 整っている、普通、乏しいより選択 |
設備内容 | ランゲージ・ラボ、インターネット |
教室 | 普通 ※ 広くて快適、普通、狭いより選択 |
生徒数 | 1200人(日本語学習者は80人ほど) |
日本人スタッフ | 100人 |
スタッフの対応 | 良い |
講師の印象 | 先生方はみんなフレンドリーで笑いが絶えないところでした。 週末などにはパーティーしたり、スポーツしたりして過ごしました。 |
クラスデータ
レベル | Year 8~11までのクラス |
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1クラスの人数 | Year 8・9は30人くらい、Year 10・11は10人前後 |
主な国籍 | オーストラリア・中国・香港・台湾・フィリピン |
日本人比率 | 生徒に2人・先生1人のみ |
滞在先データ
滞在形態 | ホームステイ(最初の2ヶ月のみ)、個室、3食付き |
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部屋は? | 普通 ※ 広い、普通、狭いより選択 |
部屋の設備は? | 机、ベッド、タンス |
ステイ先の感想 | 家の人がとても自由にさせてくれていたのですぐに生活に慣れることができた。子供が4人いたこともあって、学校から帰ると晩御飯まで一緒に遊んだり、折り紙したり、日本の遊びを教えてたりしてました。 |
食事 | 自炊 |
食事の量は? | ちょうどよい ※ 多い、ちょうどよい、少ないより選択 |
どんな食事だったの? (ホームステイ) |
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課外活動データ
頻度は? | 週6、7回 |
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内容は? |
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費用は? | ビーチバレーは2試合して$7.8。卓球・バドミントンはフリー。ラジオ出演はボランティアでした。 マーケットの野菜は安くて新鮮でスーパーに比べてすごく長持ち!スポーツのあとのビールはAU$2.5、クラブ・パブで飲むと$4.5。 |
課外活動データ(シェアで生活していた時)
6:30 | 起床&朝食 | 昼ご飯のサンドイッチを作って、シリアルを食べていました。 |
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7:30 | 家を出る | 学校まで車で5分。徒歩で20分。自転車で15分。 |
7:45 | 職員会議 | 朝からみんな笑いが絶えない楽しい職員会議です。 |
8:10~ | 授業 | 授業がないときは授業の準備したりしてました。 |
9:55~10:20 | モーニングティー | 紅茶やコーヒーと一緒にお菓子などを食べる時間。 2週間に1回金曜日に職員室で大きなモーニングティーがあり、先生達と授業が終わるとダッシュで向かってました(笑) |
12:00~12:50 | ランチブレイク | 通常のランチタイム。 忙しい時は生徒がたまに終わってない課題をやりに来るので、時間がほとんどとれないこともたくさんあった。 |
~14:30 | 授業 | 終わるのが早いので嬉しかった。 でも1時間くらいは学校に残ってました。 |
15:30~18:00 | フリータイム | 家に帰るととりあえずリラックス、趣味のギターや、小テストの採点、音楽聴いたりしてました。 |
18:00~22:00 | 外出 | 曜日によってやや異なりますが、スポーツしたりラジオに出たり、お酒飲んだりしてました。 |
23:00 | 就寝 | 平日は早めの就寝です。 |
良かった点、悪かった点
良かった点はやっぱり自分の中での視野が広くなったこと。わかっていたつもりでも実際行ってみるとカルチャーショックになったり人間不信になったりと色々ありましたが、それも自分で又は友達の助けを借りて乗り切ることができた。肝心の英語も生徒と話したりすることならほとんど全てわかるようになり、意識しなくても英 語が入ってきたり、喋るようになれました。元々口数が多い方だったけど、英語でもよく喋るよねって言われた時は嬉しかった・・・かな!?
一番驚いたのは 数ヶ月たってから、頭にきたり、酒に酔っぱらってる時など思考力を使わない時のほうがさらに英語が喋りやすくなってたこと!!!友達もたくさんできたし、生徒たちとも仲良く過ごせたと思います。ボランティアとして働いていることに時々疑問を持ったりして悩んだ時もあったけどそれも含めていい経験だったと思います。
悪かった点は、これといってないと思います。先生として少し距離が近くなりすぎて、仲良くなりすぎました。基本的には怒らないのですが、怒った時に生徒にばれていて表情にださないようにしないといけないなぁ~と思いました。一人で授業をする機会が何度かありましたが、やはりフレンドリーになりすぎたのか、なめられたのか。
中学校くらいからの夢だった海外留学がこういう形で実現するとは思いませんでした。てっきり語学学校に行くだろうと思っていたので。でも、あることをキッカケに日本語教育に興味を持ち、英語も話せるようになりたいということでこれを選びました。
そのために大学のゼミを外国人の先生にしたり、バイトを力仕事 から塾に変えたり、日本語教育の専門学校にダブルスクールしたりと色々準備をしていきましたが、行ってからどれも無駄ではなかったことが再確認できました。
2ヶ月のホームステイからシェアでの生活、初めての自炊、ビーチバレーボール、ラジオスタッフ、ストリートミュージシャンと色々なことを経験できまし た。やっぱりスポーツと音楽は言葉を使わなくても通じるものがあるなぁ~と思いました。行く前まではそんなに好きではなかったビールもひどい時は10日連続とかで飲んだりしていい経験ができました。オーストラリアのビール飲みやすくてはまりました!
生徒はすごくいい子ばかりで、最後の日にはプレゼントやカードなどたくさんのものをもらい一生残しておきたい宝物です。時々、日本人の常識では考えられないことが起こったときに悩んだり、落ち込んだりしましたが、そういう人達なんだと異文化理解することで乗り切れました。幸い、深く悩むタイプではなかったのがよかったのかな!?一生のうちに1回しかない経験だったと思います。次に生徒達に会った時に、英語で喋れないなんてことがないように維持していきたいです。